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教育詳細 → インドの教育システム

原文は英語で、これはその翻訳です。

インドの教育システム

Dr. V. Sasi Kumar(1)

はじまり

はるか以前には、インドにはGurukulaという教育システムがありました。学ぼうとする人が先生(Guruと呼ぶ)の家を訪ね、教えてくださいと頼むシステムでした。生徒として先生に受け入れ てもらうと、先生の家に泊まり込み、いろんなことを手伝うのです。これにより先生と生徒の間に強い絆が生まれるだけでなく、生徒は家庭を営む上でのいろんなことを教わります。生徒たる子供が欲すること、たとえば、サンスクリット語から聖書、数学から形而上学にいたるいろんなことを教えます。生徒が望むかぎりの間、あるいは先生が教えられることはすべて教えたと思うまで、生徒は先生の家にとどまるのです。すべての学習は、自然や生命に密接なもので、ある情報を記憶することに限定されるようなものではありませんでした。

1830年代にトーマス・マコーリーによってはじめて、英語とともに近代的な学校システムがインドへもたらされました。カリキュラムは科学や数学といった「近代的」な科目に限られ、形而上学や哲学は不要とされました。授業は教室に限られ、自然とのつながりはなくなりました。また、教師と生徒の密接な関係も失われてしまいました。

ウッタル・プラデーシュ(インドの州)中高等教育委員会は1921年にインドで発足した最初の委員会で、ラージプターナや中央インド、グワリオルを管轄していました。1929年にはラージプターナ中高等教育委員会が設立されました。のちに、いくつかの州で委員会が設立されました。しかし結局1952年に組織改革が行われ、中央中等教育委員会(CBSE)と名称変更されました。デリーといくつかの地域のすべての学校が委員会の管轄下となりました。この委員会の役目は、すべての管轄校のカリキュラム、教科書、試験制度などを決定することでした。今日では、インド国内および、アフガニスタンやジンバブエなどにわたるたくさんの国で、数千もの学校が委員会の傘下にあります。

6〜14才のすべての子供に対する一般義務教育はインド共和国新政府の念願の夢でした。憲法の45条に方針として取り入れられている事実からも明らかです。しかし、この目標は半世紀以上たっても達成にはほど遠いものです。ただ、最近になって政府は過失を認め、初等教育はすべてのインド市民の基本的な権利であるとしました。経済成長による圧力や、熟練した人材の深刻な不足が、政府がそうしたステップを踏まざるをえなかった要因に違いありません。近年の学校教育における政府の支出は、GDPの約3%になっていますが、これはとても低いとの評価がされています。

「最近、インドの教育部門に関して貧しい州を発展させるためのいくつかの重要な通知がされました。もっとも注目すべきものは、統一進歩連合(UPA)政府による全国最小限共通要綱(NCMP)です。通知は以下のとおりです — (a)教育への支出を約6%まで漸増させる。(b)教育に対する支出増をまかない、教育の質を向上させるために、すべての地方交付税に教育目的税を課税する。(c)経済的な遅れや貧困を理由に何人も教育を拒否されないものとする。(d)6–14才のすべての子供たちの基本的権利として教育を受ける権利を設ける。(e)国民皆教育戦略(Sarva Siksha Abhiyan)や Mid Day Meal といった主要な計画を通じて、教育を一般化する。」ウィキペディア: インドの教育

学校制度

インドは28の州と7つのいわゆる「連邦直轄領」に分かれています。州には選挙で選ばれる政府があり、これに対し連邦直轄領はインド政府により直接統治されていて、各直轄領の長官は大統領により任命されます。このインドの構造により、学校教育はそもそも州の課題でありました — つまり、州が教育ポリシーの策定と実施においてすべての権限を持っていました。そして、インド政府(GoI)の役割は、高等教育標準を調整、策定することに制限されていました。1976年の憲法改正により状況が変わり、教育はいまやいわゆる共同管轄事項となっています。学校教育のポリシーや計画はGoIにより国家レベルで提案されますが、州政府は計画の実施においてかなりの自由を有しています。ポリシーは国家レベルで定期的に通知されます。1935年に設立された教育中央諮問委員会(CABE)は以来、教育におけるポリシーと計画において発展と監視を行う主導的役割を果たしています。

ポリシーや計画の策定に対して重要な役割を果たす国家機構があります。全国教育研究訓練機関(NCERT)と呼ばれ、全国カリキュラムフレームワークを準備しています。各州には、同等の組織となる、州教育研究訓練機関(SCERT)と呼ばれる組織があります。これらの機関は、基本的に教育戦略やカリキュラム、教育学のスキーム、評価手法といったことを州の教育部門へ提案する組織です。SCERTは一般的にNCERTによって策定されるガイドラインにしたがいますが、教育制度の施行においてはかなりの自由度を持っています。

1986年の国家教育政策と1992年の行動計画は、21世紀までに14歳以下のすべての子供へ充分な質の無償の義務教育をおこなうという構想でした。政府は国民総生産(GDP)の6%を教育へ割り当て、その半分は初等教育に費やすことを約束しました。GDP割合としての教育への支出は、1951-1952年の0.7%から1997-1998年の約3.6%まで向上しました。

インドの学校制度には4段階の課程があります: 前期初等(6〜10才)、後期初等(11〜12才)、高等(13〜15才)、後期高等(17〜18才)です。前期初等は5つの「学年」があり、後期初等は2学年、高等は3学年、後期後期は2学年に分かれています。学生は、共通のカリキュラムの大部分(母語による地域差異を除く)を高等学校の終わりまで学びます。後期高等レベルでは多少の専門教育も可能です。全国の学生は、母語がヒンズー語である地域や下記で述べるいくつかのグループを除いて、3ヶ国語(すなわち、英語、ヒンズー語、母語)を学ばねばなりません。

インドの学校教育にはおもに3つの流れがあります。このうち2つは国家レベルで調整されており、さらにそのうち1つは中央中等教育委員会(CBSE)の管轄下で、本来、定期的に転勤があり全国各地へ異動する必要がある中央政府の職員の子供向けのものでした。たくさんの「中央学校」(Kendriya Vidyalayasという)がこのため、全国のすべての主要都市部に設立されました。これらの学校は共通のスケジュールにしたがっており、ある日に転校したとしても生徒が教わる内容にほとんど違いがでないようになっています。こうした学校では、1教科(歴史、地理、公民からなる社会学)がつねにヒンズー語で教えられており、その他の教科は英語で教えられています。また、Kendriya Vidyalayasは、席が空いていれば、それ以外の子供でも通うことができます。また、NCERTにより出版された教科書がこれらのすべての学校で使われています。こうした政府運営の学校のほかに、国内にはたくさんの私立学校があり、教科書やスケジュールは違ったとしても、CBSEのシラバスにしたがっています。また低学年では教える内容に一定の裁量が与えられています。CBSEには21の諸外国に141の関連学校があり、おもに現地のインド人らのニーズに応えています。

2つめの中心スキームとしてはインド中等教育認定(ICSE)があります。これは、ケンブリッジ学校認定の代わりに始まったようです。このアイデアは、のちに教育大臣となったMaulana Abul Kalam Azadが議長をした時に会議へ提出されました。この会議の主目的は、海外のケンブリッジ学校認定試験をインド独自のものへの置き換えを検討することでした。1956年10月に、在インド英国人教育のための州間委員会の会合で、インドにおいてケンブリッジ大学認定機構を運営し、機構に対して国内ニーズへ対応する試験を採用するように最善を尽くすよう求めるための評議会を設立する、という提案が採択されました。評議会の初会合は、1958年11月3日に開催されました。1967年12月には、1860年制定の団体登録法にもとづいて、団体登録がされました。評議会は、1973年のデリー学校教育法のなかで、公的試験を行う団体の一つとして記載されています。今日では、国内のたくさんの学校が評議会へ加盟していす。これらのすべてが私立学校であり、一般には富裕な家庭の子供が通っています。

CBSE、ISCE双方の委員会は、10年次の終わり(高等教育卒後)と12年次の終わり(後期高等教育卒後)に国内の加盟学校で試験を行います。11年生への進学許可は通常この全国試験の成績に基づいて行われます。この試験制度は、よい成績をとろうとする子供への負担となるので、10年次の試験をなくしてはどうかという提案もなされました。

上流校

上記とは別に、比較的少数の学校があり、いわゆるSenior Cambridgeなどの海外のカリキュラムにしたがっています。ただし、多数がICSE流に置き換わっています。こうした学校の中には、ICSEの試験を受ける機会を生徒に提供している場合もあります。また、とても高価な寄宿学校であることが多く、海外赴任中のインド人が子供を通わせていることがあります。一般に、素晴らしいインフラを有しており、生徒と教師の比率が低く、生徒がとても少数です。また、外国人教師を多く有しています。デヘラードゥーンにあるDoon Schoolのような上流校もあり、ここでもまた、少数の学生しか受け入れず、途方もない費用を課しています。

上記のいずれともはまったく別に、暗記学習を推進するような通常の教育システムから脱却し、モンテッソーリ教育法のような革新的なシステムを実施しようとするアンドラプラデシュのRishi Valley校をはじめとする学校が国内に少数あります。こうした学校のほとんどは学費が高額で、教師と生徒の比率が高く、子供が個々のペースで学べるような学習環境を提供しています。この種の学校が卒業生の生涯にいかなる影響を与えたかを調査することは興味深く、有益なものでしょう。

公立学校

国内の各州にはそれぞれ教育部門があり、そこで教科書や評価制度を含めた学校制度が個々に運用されています。先にも述べたように、カリキュラムや教育法や評価手法はおもに州のSCERTによって定められますが、これはNCERTが規定した国のガイドラインに準拠しています。

各州には3種類の学校があり、州のカリキュラムにしたがっています。政府は自身が所有する土地および建物で学校を運営し、職員の給料も予算から支出しています。これらは一般的に公立学校として知られています。こうした学校では学費はきわめて安くなっています。次に、民間の学校があり、民間の土地と建物で運営されています。こちらは、学費が高く、教師の給料は経営のなかで支払われています。このような学校はたいてい都市部の中流階級家庭を対象としています。3つ目は、政府の補助金で賄われている場合で、民営機関によりその所有する土地と建物で始められたものです。補助金は、学費の低減を支援し、貧しい家庭が子供を学校にやることを可能とする目的があります。ケーララのようないくつかの州では、こうした民間学校は公立学校ととても似ていて、教師の給料が政府より支払われ、学費も公立学校とほぼ同程度だったりします。

ケーララ州の事例

ケーララ州は、インドの南西海岸に位置する小さな州で、ここ数十年いろんな意味で国内の他の地域とは異なる歩みをしてきました。たとえば、すべての州の中で最高の識字率をもち、約10年前に完全に読み書きのできる州として最初の宣言をだしました。男女ともに寿命がとても長く先進国に近い水準です。出生率や幼児・子供の死亡率といった諸元も国内で最高ではないにしても、最高水準に位置しています。出生率もここ20年は人口維持に必要な出生率の2.1を下回っています。おそらく、経済や社会発展の副作用として、自殺率、アルコール依存者がとても高くなっています。政府の方針も国内の他とはまったく異なっており、教育と福祉へ高い支出を行う発展的モデルがケーララ州で行われ、経済学者の間では「ケーララモデル」として知られるようになりました。

ケーララ州はまた、学校教育制度を改善するいろいな手法を試すことに常に関心をもっています。NCERTが新しいアイデアを打ち立てるたびに、最初にそれを試すのはケーララ州でした。いろんな地区から反対もありましたが、同州は地方初等教育計画(DPEP)を嬉々として試みましたし、さらに初等教育より上の学年に同計画を採用したりもしました。また、従来の行動主義的な教育手法から社会的構成主義なパラダイムへの転換を行った国内初の州です。このパラダイムは、2000年のNCERTによる全国カリキュラムフレームワークで言及されていましたが、ケーララ州はすぐその翌年に試行を開始しました。これにより、教室でのやりとりや評価手法が変わりました。授業を記憶することでしか答えられないような直接的な質問ではなく、間接的で結論のない質問が取り入れられて、生徒は答える前に考えないとならず、さらに回答はある程度主観的であろうものになりました。つまり、ある状況下において質問に答えるために、生徒は学んだことを要約し知識を利用することを求められるのです。それと同時に、新しい手法によっていろんなプレッシャーが取り除かれ、子供たちは試験がストレスの多いものではなく、興味深く楽しいものだと感じるようになりました。総合的継続評価(CCE)システムも同時に取り入れられ、次学年への進級を決める際は、生徒の全般的な人格が考慮され、一回かぎりの期末試験の比重は低減されることになりました。現在では、CBSEもCCEを実施していますが、さらに柔軟なやり方をしています。

ケーララはまた、高等学校課程の授業科目として情報技術を取り入れた国内最初の州です。8年生で、Microsoft WindowsやMicrosoft Officeの入門書を使って開始されました。しかし、一年もたたないうちに、自由ソフトウェア支持者からの反対や当時公立教員の多数派であった学校教員連盟の賛成もあり、政府はカリキュラムに自由ソフトウェアを取り入れざるをえなくなりました。その後2007年からは、学校ではGNU/Linuxだけが教えられるようになり、学校のすべてのコンピュータにGNU/Linuxだけがインストールされるようになりました。当時、そしておそらく現時点でも、学校においてGNU/Linuxがインストールされた最大規模であり、諸外国のニュースとなりました。2007年以来、自由ソフトウェアの概念およびGNU/Linuxオペレーティングシステムやアプリケーションを学んだ約50万人の子供たちが毎年学校を卒業しています。州は現在、IT化された教育を計画しています。やがて、ITそのものは単独の教科ではなくなるでしょう。代わりに、すべての教科がITを活用して行われ、子供たちは一方でITスキルを学びながら、もう一方で教育向けアプリケーション(下記に記載)やインターネット上の情報(ウィキペディアのようなサイトの文献や画像、動画など)を使いながら、いろんな教科を勉強し課題をこなすようになるでしょう。教師および生徒が幾何学や電子工学の学習のためにすでに使用しているアプリケーションとしては、Dr. GeoGeoGebraKtechLabといったアプリケーションがあります。また、教師や生徒の間で人気があるものとして、SunclockKalziumGhemicalといったアプリケーションがあります。

ケーララで行われた新たな取り組みは、他の州やインド政府のポリシーにまで影響を与えています。カルナタカやグジャラートといった州は現在学校へ自由ソフトウェアを導入する計画をしていますし、マハラシュトラといった他の州でもそういった選択肢を検討しています。インド政府の新しい教育計画では構成主義、IT化された教育、自由ソフトウェア、教育資源の共有などが言及されています。大きな州のいくつかが自由ソフトウェアへの移行に成功すれば、比較的短時間で国全体として後に続くことが予想されます。もしそうなれば、インドはGNU/Linuxや自由ソフトウェアにおける最大のユーザ基盤を持つことになります。

参考文献

http://www.columbia.edu/itc/mealac/pritchett/00generallinks/macaulay/txt_minute_education_1835.html
http://varnam.org/blog/2007/08/the_story_behind_macaulays_edu
http://en.wikipedia.org/wiki/Central_Board_of_Secondary_Education


V. Sasi Kumarは物理学博士で、FSFインド理事会のメンバーです。彼は、自由ソフトウェアと知識の自由の支持者です。

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